出航までのあらすじ

ヨットを始めてから「いつかは外国へ」と夢をもっていましたが、長年の夢が今回のコルサコフ市との国際交流航海で達成することが出来 夢が夢でなく現実になってしまいました。「友好の白い帆」と名付けて釧路でもサハリンまでヨットで交流に行ったりしていますが、自分たちが行けるとは本当に夢のようです。

昨年のうちに この計画が決まっていて、紋別から26時間の航海で行ける一番近い外国でもあります。しかし外国へ 旅行会社にも頼まず 船で行くとなると色々の手続きや、船の航海安全備品等準備しなければならない事がたくさんあると思い早い時期より準備をしてきたつもりです。しかし海外、そしてロシア 話がなかなかスピーディに進まずビザをもらうのに必要なコルサコフ市長の招待状が届いたのは6月上旬になっていました。

 船のほうは北緯50度までは、今のままの沿海使用(車の車検のようなもの)で行けるので問題はありませんでした。

問題は、税関、入管、検疫で これは大変でした。工藤が担当したのですがだいぶ頭をかかえていました。そして今度は 6月の中過ぎにコルサコフのインフロート(ロシアの港湾管理か税関みたいなとこ)から入国に必要な書類をそろえる要請のフアックスが届きました。

これも大変な手間がかかりました。私が担当したのですが 出入港届け、乗船名簿、船の備品書、所持金リスト、クルー所持品リスト、航海日誌、検疫書等を用意するむねのフアックスでした。

これらはすべて英文で書かれていたのでこちらの解釈で上記のようになりました。

これらの様式も どのように書いてよいかもわからずこちらで出来るだけの事をしましたが、私としてもまだ入港出来るかどうか五分五分と思い その旨をみんなにも話したのですが やるだけの事はやったんだから それは仕方ないだろうということで出航を待つばかりとなりました。

7月5日 6時集合になっていたが3時から目が開き3時半にはクルーザーに行きました。 5時位からぼつぼつと集まりだし6時半にガリンコ号の場所に横付けしました。それからの8時までが長く準備は出来ているのに出航出来ず また見送りの人もずいぶん集まってくるし、わくわくどきどきしながら8時をまちました。こんなに盛大な見送りを受け興奮と感激の出航です。


盛大な見送り

関係者によく聞かれたのは危なくないの とみんなが聞きますが、私たちはヨットがどれほど安全な船かを十分知っているつもりです ですから航海についての心配はほとんどありませんでした

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