8日 サハリン時間7時起床

今日は9時よりユジノへ買物に連れて行ってくれる事になっています

以前 順子さんが日本人をユジノへ買物に連れて行ったとき買物の時間が3時間あってもたりなかったと言われ、ぼくたちにも2時間の時間をとってくれた しかし男は買物もたいしたなく時間があまってしまった。


デパートの女性はスタイル最高

コルサコフへ帰って昼食をみんなでする予定であったが手違いで出来なくなり昼食ぬきでこんどは出航出国準備にとりかかる。

 ここでもまた緊張した、出国にもマネーリストが必要と言われていたので全員財布の中身を申告通りに金額をあわせておいた。検査する場所へヨットを移動し しばらく待たされる 順子さんはじめ助役さんセイゲルさんらは丘で見送りのため ずーと待っている。そして全員税関事務所まで連れていかれまた待たされる  そしてやはり入国の時と同じで結局フリーパスであった。なぜこんなにも時間ばかりかけるのかよく分からない国である。

別れもいいものである お世話になった人たちと握手 言葉は通じなくてもこの握手に全てがふくまれている事がお互いに感じ合っているようです。短い時間だけど楽しかった、気をつけて帰りなさい、またの再会をそして ダスピダーニャ     予定より1時間30分遅れてサハリン時間午後4時30分の出航である、1度出航するが まてまてと声がかかる書類を1つ渡すのを忘れた、その書類をもらい順子さん こんどは もう聞こえても聞こえないふりをして行きなさいという 全員笑う・・・ 

見えなくなるまでお互いに手を振り合う

ここから日本時間に戻す

紋別出航からサハリン滞在中は天候に恵まれ暑い日ばかりであったが今日は 曇ってきて風も5メートルぐらいあり 快適なセーリングで帰れるな としゃべつていた。

昼食が食べられなかったので各自食べだす。

食事も全員終わったころ 17時ごろより雨が降りだしてきた カッパを着込む

曇り空のため暗い 18時どんどん風が強なってくる8メーター位か波も2メーターぐらいになってきた。セールをワンポンリーフにする。19時風速10メートルを超えてきたのでキャプテンより 暗くなってからのリーフは危険だし、まだ風速が上がりそうなので3ポンリーフの指示が出る。20時もう暗い アニワ湾を出て宗谷海峡に入ろうとしている この時点でヨット協会の5人はこの先の事態を おおよそ想像したと思う。

セールは3ポンのメインセールとジブ(前にある帆)を半分よりやや小さめにして風を左手前方より60゜位に受けて走っている対水速度10ノット 対地速度は潮に乗り12ノット以上をキープ最大では14ノットまで出ている

海峡に入り波も一段と大きくなってきた。
風も
15メートルを越えているかも雨か波しぶきか 顔にあたるとチクチクと痛い、夜はながい まず艇長がそして山田がキャビンに入るコクピットには今 3人上森 工藤 霜鳥がいる 工藤が船尾で用をたすもちろん立って出来る状態ではない、しゃがんでしている 霜鳥が工藤の足をおさえている この暗闇の中 心配なのは落水である、アメリカスカップのニッポンチャレンジチームキヤプテン南波誠さんも夜のシケの中の落水で行方不明になった もちろん遺体も発見されていない。そんな事が頭の中に浮かんでくる。コクピットには 必ず3人がいる事が暗黙の了解のようになっていた 一人が出てきて一人がキャビンへ入るというぐあい、みんな頑張っている。昨日までコルサコフの人たちと めいっぱい交流をし疲れているにもかかわらず全員でこのシケを乗りこえようとしている 自分だけでなく皆疲れているんだと・・・

しかし眠たい 舵を持っていればまだいいがコクピットでワッチだけだとついつい寝てしまう、霜鳥もそれに気ずいたのかウトウト寝て落水しないよう 自分の体をロープで縛って固定している。さすが元海上自衛隊。

22時 艇長が出てきた私がキャビンに入らせてもらう 廊下で誰かが寝ている加藤さんである、われわれにベットを譲ってくれたと解釈する

時化のためと疲れのため写真一枚も撮れず

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