2000年
今年もやって来ましたヨットでの訪問者

2000.6.15 
BLUE WING(ヤマハ31EX)高松市の山根利勝さんシングルにて紋別入港
稚内ヨットクラブの山田氏より連絡が有り お会いする事が出来ました。 16日の朝には網走へ向けて出港・・・御安航を祈ります。

2000.6.27−7.3
岡山 牛窓ヨットハーバーより SAINT ELMOU(デヘラー 39)入港 オーナー石原祐佶氏は仕事のため7月5日に網走から乗るとの事で、クルーの瀧本秀人氏 がシングルで入港、我ら紋別ヨット協会会員で歓迎のバーベキューそして色々と話を聞くと ミニ・トランサットレース(大西洋シングルハンド横断レース)に来年出場するため、今スポンサー探しと艇の自作中との事、一同驚くぱかりである。
7月2日には、紋別ヨット協会主催のヨツト体験乗船会をも瀧本氏に御協力頂き、楽しく実施 する事が出来ました。
瀧本氏の今後の御安航と来年のミニ・トランサット完走をお祈りします


右端が瀧本氏
2000.7.18
ヨットて゛はないが、舵にも載っていたヴァレンチノ(ヤマハPC41FS)が紋別に立ち寄った、見に行った時は、すでに出港で遠くから写した画像だけである。


2000.7.19
ヨットどんたく 楢崎さん御夫婦で入港、今回で確か日本6周目だと思います。 御夫婦でこんなにも一緒にいれるとは僕には考えられない事です。 19日と20日と二日続けてバーベキューで盛り上がった。 20日は士別市より石井さん家族がどんたくの楢崎さんに会いに来た、この石井さんは 今年の4月に家族3人でアラスカ、アメリカと太平洋周航へ向け長崎から出港したので すが、途中で怪我をされて断念、今はリハビリのため奥さんの実家士別にお住まいとの 事でした。

どんたくは21日に網走へ向け出港

左から石井さん、楢崎さん、石井婦人とお子さん、楢崎婦人
2000.8.25
MIHOV(ETAP38i)千葉県富津市の 太田ご夫妻、紋別入港
クラブハウスにてシャブシャブにて歓迎、御主人の話によると、まだ小笠原へ行っていないので行ってみたいと・・・・・でも奥様はそろそろ私に付き合ってと・・・・
奥様いわく5年好きにさせたのだから、今度は私の楽しみに付き合って欲しいと、確かにその通りである、紋別ヨット協会会員一同も奥様の言い分に賛同するが、御主人は付き合うけどヨットは止められなさそう・・・・・まだまだ日本中を回っていたそうである。
我らもその気持ちを察して欲しいと奥様にお願いする。
私達の感じとしては、夫婦の会話をこんな所で平然と聞かしてくれる御夫婦、とても仲が良くうらやましいかぎり、みんな出来る事なら夫婦でクルージングしたいもの、しかし中々同伴となると難しい・・・・皆そういう夢を見ていますヨきっと・・・・・
しかしまだ50才中ばの御夫婦お互いの夢を一緒にかなえられる事をお祈りします
紋別には2泊し27日に網走へ向けて出港

ETAPのホームページで太田さんの航海記がありますので見て下さい。
ETAP38iで日本を廻るのぺーじへ


左から太田氏、上森保雄(私の兄)、太田婦人
2000.8.27
MIHOが出港した日の午後またまたヨット入港
ラクラクtoo(なかよし30)長崎の中山秀吉さんシングルにて紋別入港。
町を折り畳み自転車に乗り、フリースのジャンバー、ショートのズボン、日焼け
これだけイメージが会うと声を掛けずにいられず、(らくらくさん)と声を掛けた。
中山さんビックリしたように振り返りまだ自分に声を掛けられた事に気が付いていないようである、さらに続けて らくらくさんでしょ と声を掛けると ハイと・・・ヨット乗りはヨット乗りの格好がだいたい分るものである。町で声を掛けたのはこれで二人めである、沖縄のヨット磨墨の松田さんもそうであった、やはりビックリしていた。もちろん誰も知らない町で声を掛けられたのだから無理も無いが・・・・・。
らくらくの中山さんは沖縄が気に入りずいぶん長い事沖縄に居たらしい、長崎から沖縄までの島々はほとんど行ったようである。今回の北海道もずいぶんとゆっくり廻っている。明日はサロマ湖に入ってみると言っていた。
御安航を祈る

見た目は恐いお兄さんに見えるが、話すと違う


これからも紋別へヨットで入港した方をアップしたいと思います。
kasayanは確認済み8月ぐらいかと??

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